「令和」新時代

keyakirin

今日から新元号「令和」になりました。

新元号を発表されてから一か月。
発表された4月1日以降、連日、ニュース、テレビ、新聞等で報道されていますが、今朝、日本海新聞「令和新時代」特集号も出ました。

紙面は新天皇陛下が皇太子時代に鳥取県に来訪された写真とともに、新元号決定に至るまでの主な動き、候補案、出典比較など整理された詳細な内容になっています。

私の周辺では過去のあらゆるデータを基に新元号を予想していた友人は意外な結果だった、と感想を述べていました。「令」の字は予想外だったようです。

私の感想は別なところにあります。

「日本の古典から初めて引用された」と新元号について繰り返し伝えられたのですが、日本の古典も漢字文化によって成り立っているのだよ、と改めて認識させられたことです。

もともと日本には文字がありませんでした。そこへ中国から漢字という文字、画期的な文化がやってきます。
この時、話し言葉としての日本語はすでに存在しています。そこで強引に日本の話し言葉に漢字を充てることになります。

それが万葉仮名です。
安(阿)を『あ』、以(伊)を『い』、宇を『う』、衣『え』など・・
日本文化は中国文化の影響の上に築かれた文化と認めることを避けてはなりません。
安倍総理が一番言いたくない、認めたくない避けている部分です。
その安倍総理がインタビューで「日本固有の文化を出典として・・」といった表現をしていました。それも間違いです。
今日の日本海新聞にもありますように「100%国産」ではありません。

平仮名そのものが漢字の草書体から工夫されたものだと考えると、外来文化を大胆に取り入れて、それを日本風に消化していくのが日本文化の優れたところだと考えることもできます。
文字、文章にとどまらず、仏教、演劇、音楽にいたるまで。

私たちの暮らす日本は平仮名、カタカナ、漢字といった三種類の文字表記が存在します。
我々日本人はこの三種類を無意識のうちに使い分けることができます。
これは世界的に見ても非常に珍しいことです。
例えば英語、基本的にABCD・・のアルファベットのみで表記。 
続いて中国語、全て漢字で表記されます。このように各国の言語はひとつの文体のみで表記されます。

奈良時代頃の古事記や万葉集はこの手法で表記されています。

昭和ひとケタ生まれ、戦中を知っている人たちは小学生のころから「日本書紀」や「古事記」の素読をさせられ「万葉集」の歌の朗読(朗詠)と詩吟をさせられたと言われます。ある意味「国策」として。
「万葉集」と聞くと、戦時中「海ゆかば」(大伴家持)の歌など、つらかった子どもの頃を思い出すというお年寄りがいることも聞きました。

新元号から「万葉集」、そして戦時中の教育と話しは飛躍しました。
「令和」の英訳が「令」=Order(命令、秩序)、command(命令)と海外メディアに訳されたような社会にならないことを願いたいと思います。
外務省のいう「令和」、「美しい調和=beautiful harmony」の時代でありたいと願います。(I)